いじめ
東京海洋大客員助教授・さかなクンより
朝日新聞2006年12月2日掲載された「広い海へ出てみよう」より
中1のとき、吹奏楽部で一緒だった友人に、だれも口をきかなくなったときがありました。いばっていた先輩が3年になったとたん、無視されたこともありました。突然のことで、わけはわかりませんでした。
でも、さかなの世界と似ていました。たとえばメジナは海の中で仲良く群れて泳いでいます。せまい水槽に一緒に入れたら、1匹を仲間はずれにして攻撃し始めたのです。けがしてかわいそうで、そのさかなを別の水槽に入れました。すると残ったメジナは別の1匹をいじめ始めました。助け出しても、また次のいじめられっ子が出てきます。いじめっ子を水槽から出しても新たないじめっ子があらわれます。
広い海の中ならこんなことはないのに、小さな世界に閉じこめると、なぜかいじめが始まるのです。同じ場所にすみ、同じエサを食べる、同じ種類同士です。
中学時代のいじめも、小さな部活動でおきました。ぼくは、いじめる子たちに「なんで?」ときけませんでした。でも仲間はずれにされた子と、よくさかなつりに行きました。学校から離れて、海岸で一緒に糸をたれているだけで、その子はほっとした表情になっていました。話をきいてあげたり、励ましたりできなかったけれど、だれかが隣にいるだけで安心できたのかもしれません。
ぼくは変わりものですが、大自然のなか、さかなに夢中になっていたらいやなことも忘れます。大切な友だちができる時期、小さなカゴの中でだれかをいじめたり、悩んでいたりしても楽しい思い出は残りません。外には楽しいことがたくさんあるのにもったいないですよ。広い空の下、広い海へ出てみましょう
今、大津の「いじめ」「自殺」がニュースとして大きく取り上げられていますが、基本「いじめ」は自分よりも強い人間でなく、弱い人間をターゲットにします。
つまり、いじめている人間達自体、弱い人間です。
昔、ブルーハーツの『TRAIN TRAIN』という唄の歌詞の中に『弱い者達が夕暮れ、さらに弱い者をたたく』とありましたが、これが心理の本質でしょうね。
弱い者達は、強い者達から叩かれ、夕暮れの様に気持ちが凹み出し、その鬱憤を晴らそうと、更に弱い者を見つけて叩こうとする循環を物語っています。
いじめられた本人は、辛かったでしょうね。
向かって行かず、グッと我慢して毎日を耐え続けるって凄い事だと思います。
今回の大きな問題は見て見ぬ振りをする教師にあります。そして、それを注意出来ない教育制度にあります。(教師が手が出せないので舐められている)
僕らの中学時代は、本気で教師が蹴って来ましたし、全身筋肉の体育教師が、そういう連中を見つけるや否や、片っ端から殴り倒しても親は文句を言えませんでした。
また、一度、ヤクザの親が学校に乗り込んできても、一歩も引かず、ガチで喧嘩して追い返してました。
中学生なんて、まだまだガキなんだから、体育館にでも連れて行って、一度、ボコボコにして、そのまま親の前に投げ出して、親を説教できる世の中に変えないと難しいのかも知れませんね。