「しない」と「出来ない」
お店の帳票は、義務である。
何故なら、日々店舗の運営においては、新たな仮説を立て実行して行くのだが、それを検証するには数字でなければ見えてこない事が多々あるからだ。
しかし、現場は、データーを取る事を義務付けると、余計な仕事が増えると嫌がり、中途半端なものとして提出してくる。
これでは何の意味もない。
この場合、主な要因としては、現場側から見ると、そのデーターを取る意味と、それの活かし方が見えないからである。
すると、「出来ません」という会話になる。
昔、性善説を唱えた中国の孟子という人物がいた。
彼は、当時の王様である宣王に以下の様な話をして諭したそうだ。
「王様が偉大な王者と成り得ないのは、“出来ない”のではなく“しない”だけです。
泰山を小脇に抱えて北海を飛び越えよと言われたら、それは誰でも出来ない話でしょう。
出来るわけがないからです。でも、年配者の人に挨拶をして下さいとお願いしても、王様は出来ないと言われます。これは、出来ないのではなく、しないのです。王様が偉大な王様として、まだ到達されないのは、その為ではないでしょうか」
つまり、売上を今すぐに「100万円作りなさい」と言われたら、販売員は出来ないと答えざるを得ないのかも知れないが、100万円の実績を作るために、対策を考え、動き、そのデーターを取りなさいという事は、出来ないのでなく、しないだけである。
これは、お客様にお礼状をキッチリと書きなさい。お客様に笑顔で挨拶しなさい。下見のお客様でも、丁寧にお見送りしなさい。折角、来店されたのだから、お客様に商品を見て貰いなさい。お客様に1本電話して、メガネの調子をお聞きしなさい。等々
全て、一緒である。
しない会社は、出来ない言い訳ばかりを考えるのが得意で、その結果、一向に成長してない事に気付かず、毎日を過ごしてしまっている事を認識しなければ危険である。