背景の大切さ
ジョン・ミルトンは、イギリスの詩人で代表作に『失楽園』などがありますが、彼の言った「雄大な詩を作ろうとするならば、その生活を雄大な詩にしなければならぬ。」という言葉の中に、人に何かを伝えることの本質が見えてきます。
それは、人が作るもののほとんどが、売場でもチラシでもDMでもPOPでも自然とその人の個性や考え方が、そこには現れてくるものだからです。
良いものを作りたければ、自分が良いものに触れる機会をたくさん作らなければ、それらは決して生まれてこないでしょうし、人から見て素晴らしいと評価されるには、自分を磨いて磨ききるしか、人には伝わらないのかも知れません。
先日も「わかったつもり」という光文社から出版されている西林さんの著書を読みましたが、書かれている文章を本当に理解する為には、その文章の持つ背景が想像出来なければならないという事が書かれていました。例えば
「新聞の方が雑誌よりいい。街中より海岸の方が場所としていい。最初は歩くよりより走る方がよい。何度もトライしなくてはならないだろう。ちょっとしたコツがいるが、つかむのは易しい。小さな子供でも楽しめる。一度精巧すると面倒は少ない。鳥が近すぎることはめったにない。ただ、雨はすぐしみ込む・・・・・・」
と書かれている文章を読んでも何も見えてきませんが、この横に凧上げをしている子供のイラストがあるだけで、書かれている話の内容が一発で理解出来てしまうものです。
しかし、凧上げをしたこともない人が読んでも、全く理解出来ないことを考えると、全て、伝える人と伝えたい人の共通の背景がそこに存在しなければならないということなのです。
映画を途中から見ても、内容を理解するまでには、まず全体の背景が読み取れなければなりませんので誰しも時間が掛かってしまいます。
つまり、何かを伝えようとするなら、その人に背景も含めて伝えなければ、結局、判ったつもりや伝わったつもりだけで終わってしまうものだと言う事です。