答えなんかない
「答えなんかない」
先日、IOFTを終えて私が顧問をさせて頂いているプライム21というメガネのボランタリーチェーンの総体会で理事長が言った言葉が凄く印象的でした。
確かに絶対に潰れないと言われた証券会社や銀行が潰れ、そして身近な存在であった郵便局が閉まって行っています。昭和の不沈艦ダイエーの破綻、宝飾では、天下のセイコーが幕を降ろし、日本最大のメガネメーカーの福井工器までもが民事再生をする時代です。
まさに商売においても同様で自分が気に入った同じフレームを200本仕入れて年間で売りさばく店が存在していたり、何百万というエメラルドをド~ンと現金で仕入れしたりする店を見ると、MD理論などふっとんでしまうかもしれません。
つまり、王道はあっても答えはないのです。
もっと頭を柔らかくしなければ、折角のヒントがそこかしこに飛んでいても、もしかしたら、それを勝手に見過ごしているだけなのかも知れませんね。
その昔、コペルニクスは、2千年も学者の中で当たり前とされていた天動説を否定し、地動説を唱えました。周りから見れば、まさに変人です。今風で言うと「私達が生きている世界は、実は死後の世界であって、実世界ではない」的なノリですから。
そしてその後、ガリレオが、同様に地動説を唱え「それでも地球は動く」と裁判で有罪になっても言い続けた逸話も残っています。
どんな学者でも固定概念があると物事をそのまま見ようとしなくなってしまいます。
正しいと思えることでも、脳で整理が出来ないので、主観的な思い込みでそれらを却下してしまうのです。その方が、楽だからです。
ガリレオが望遠鏡を作り33倍の倍率で学者に披露しても、遠くの森林や町並みに対して、周りはビックリしても、月のクレーターが望遠鏡を通して見えた時には、誰もが、望遠鏡自体を偽物だとバカにしたのも、天体事体完璧な存在で、不完全な月のクレーターの様なボコボコは、どうしても信じられなかったのでしょう。
つまり、自分が頭の中に存在する見たい姿を探していても、新たな発見はなく、現物をしっかりと客観的な見方をし、受け止めることによって私達の視野は広がっていくのです。
まさに「答えはない」という答えは、自分の思い描く理想ばかりでは、盲目になってしまうということでしょう。