大輪の花
ライセンスキャラクター、昨年度大賞はワンピースでした。
2011年度に最も活躍したキャラクターですが、経済効果は恐ろしいものがありますね。
ここで面白い記事があります。
短編漫画が突然に準入選に選ばれた彼は、九州から東京へと移ったそうです。担当編集者も付いたので、すぐにトップになれると信じていたのでしょう。
しかし、現実は甘くなく、描いても描いても採用されない状況が続きます。通常、失敗を繰り返すと人は自信を失うものです。
そのうちに、自分には、漫画の才能がなく、採用される人は、漫画家になるべくして生まれた様な人にしか出来ないと思うようになってきました。
彼は、そこで倒れてしまいます。約1週間ほど体が動かなくなってしまったそうです。
もう漫画家を目指すのは、ここで辞めよう、今からサラリーマンになろうと諦めかけたその時、担当の編集者が、彼にこう言ったのだそうです。
「こんなに頑張って報われなかったヤツを俺は今まで見た事がない」
きっと、必ず報われるはずだと。
そして彼は、諦めかけた漫画を描き続け、その漫画が、「ONE PIECE(ワンピース)」なんだそうです。
鳥肌もんですね。
僕が学生から社会人に成り立ての頃、夢中になって見ていたのはF1でした。
当時は、様々なF1のゲームがあり、友達もF1オタクだったので、その影響のもと自然にF1観戦に嵌りました。
当時、活躍していたのは、ウイリアムズのナイジェル・マンセルです。
ピケやプロスト、セナを含めた、この4人は「F1四天王」と呼ばれ、凄い攻防戦が繰り広げられたのですが、あの時のウイリアムズ・ルノーを操るマンセルは圧巻で、セナにも抜かれる感じが全くせず、チームメイトのパトレーゼともレベルがダントツに違いました。
さてそのマンセルにも記事があります。
お金持ちでなかった彼は、小さい頃から片方の車輪が動かないボロカートに乗って、近所の路地で練習していたそうです。
そんな環境でも才能が開花し、世界を狙えるレベルになってきます。しかし、彼にはお金がありません。現地への移動も飛行機を乗れず、車にテントを積んで大陸を渡ったそうです。
お金が、まず必要。こんな環境ではレースにも出れやしない。
そこで400通もの手紙を書き、スポンサー探しに努めるのですが、成果はゼロ。
挙句の果てには、自分の住んでいる家も売り払いお金を調達します。
しかし、そこまでして臨んだF3レースも結果は惨敗の連続だったのですが、彼は諦めませんでした。
そのまま、シャワーも何もないキャンピングカー一台に寝泊りしながら、移動を続けたそうです。
人は諦めなければ神様は見捨てないものです。
彼は、そのうちにロータスのテストドライバーの地位を得て、1980年にF1デビューを果たせるチャンスを手に入れたのです。
しかし、悪夢は続きます。
折角の記念すべき、彼のF1デビュー戦に、こぼれた燃料がコックピットに乗っていた彼の背中で発火し、大火傷を負ってしまうのです。
結果、頭から水を被って、出場をしたのだそうです。
そんな彼が、初めて優勝をしたのが、その時から72回目のグランプリで、ようやく念願のワールドチャンピオンになりました。
その時、1992年、実に12年もの年月を負けに負けを重ね、そして努力に努力を重ね、諦めずにやってきたのです。
世の中には、凄い人達がいるものですね。
1年、2年、5年、10年、頑張って頑張ってなんて、彼らからすれば屁のツッパリにもなりはしない甘ちゃんです。
大輪の花を咲かせる人は、やはり、諦めない人なのでしょうね。