自分探し
「自分探しの旅に行ってきます!」と言い残し、海外に出掛けた友人が学生時代に沢山いた。1ヶ月ぐらい経って戻って来るのだが、大体は何の変化もない。
変わったところと言えば、日焼けした顔と思い出話が増えた程度で、結局、自分は一向に見つかっていないようだ。
世の中に答えなんてものはなく、自分というものにも答えなんてない。
それらは自ら作り上げない限り成し得ない事だからである。
昔、某宝石店の支援先の店長と食事をしている時、「君は、どうなりたいの?」って軽く質問をした事がある。
すると、その店長は、真っ直ぐに僕を見て「この会社を日本一素晴らしいと言われる宝石店にしたいです!だから、まず、僕が日本一のレベルの店長になりらないと始まらないのです」って言われた。
僕は、言葉に詰まり、鳥肌が立ったのだが、今でも強く心に残っている。
よく僕らは、迷った時、「何の為に?」を問い原点に戻って考える。
例えば、自分が、このメガネ店でメガネを作る事にどんな価値があるのだろうか?
そして、それによって誰が喜んでくれるのだろうか?
もし、このメガネがなければ、その人にとってどんな問題が起きるのだろうか?
確かに、毎日毎日、メガネを作って忙しいかも知れない。
予算5000円でも、キッチリと検眼をして加工をして作り上げないと行けない。
でも、きっと、そのお客様は、このメガネが必要だから、一日でも早くメガネを掛けたいと思うからこそ、このメガネを購買されたに違いない。
これで見えなかった黒板の文字が見やすくなって勉強が捗るかも知れない。
友人から目つきが悪いと言われて凹んでいたのだが、もう目を細めて必死に見る必要もない。
車の運転も怖かったのだが、このメガネで悠々と運転出来るかもしれない。
大好きな新聞や読書も、最近は目がチカチカして見難かったのが、一気に解消されるかも知れない。
そういう原点を考えた時、僕達は、商売の意味を考え、自分の仕事に誇りを持ち、決して手は抜けないと思うことだろう。
僕が作るメガネはたかが、1本のメガネかも知れない。
でも、そのメガネから、波及する、その人の人生において決して小さな影響ではないだろう。
そういう妄想でも何でも、その原点から自分というものに対する答えを作り出して行く事が、自己形成における一番の近道な気がしている。