気付かなければ意味がない
中学生の時、よく休み時間になると「ぴあ」を皆で回し読みしていた。
映画情報やコンサート情報を含め、あれを行こう、これを行こうと決めていた。
大学生になると関西ウォーカーを読み、社会人になると東京ウォーカーを読んで、休みの日に、どこに行こうかとパラパラと遊園地や観光スポットや評判の料理店をチェックしていた。
その、どれもが廃刊になる。情報取得の手段が、紙媒体でなくネットに変わったからだ。
そして、もう一つ世の中の中心は、人口が密集している団塊JRの世代である為、家族向けのファミリーウォーカーだけは生き残るみたいだ。
そして、あと10年も経てば全国で20版を出しているゼクシーがなくなる時代もきっと来る。
時代は変わり、世代交代が起こり、そのうちゴルフマガジンや、社交ダンスマガジンみたいなものが街のコンビニで並ぶ事だろう。
電車に乗っていると、僕は大体、周りの人を見ている。
昔は、月曜日の朝になるとジャンプやスピリッツの雑誌を読んでいる人が沢山いて、水曜日にはマガジンやサンデーが定番だった。今は、ほとんどの人が携帯を見ている。
乗り物に乗っている時にしている事が、その人が、家でも普段している事だと思う。
駅の看板を見ると、スカスカになって白いポスターみたいなもので誤魔化してある。
渋谷や池袋、新宿もヒドイものだ。それだけ経費を出せる会社が減ってきている事を彷彿とさせる。
でも、その中でも、しっかりとPRしている会社もある。これらは、今の時代において勢いがあるのだろう。それをしっかりと目に焼き付けておく。
学生の時の勉強は、「覚えること」だった。
でも、社会人になった僕らの勉強とは「覚えること」ではなく、「気付く」ことにある。
どんな本を読んでも、全部、丸暗記する必要なんてないし、テストに出る項目もない。
その中のワンセンテンスで良いから気付けば、それが価値になる。
気付かなければ、何も意味がない。