ガチョ~ン!!
「ガチョ~ン!!」・・・・・・・
先日、隣に座っていたオッサンが、携帯電話の会話の中で飛び出した奇声である。
これは、一昨年に亡くなったクレイジーキャッツで有名な谷啓さんのギャグなのだが、
思わず、僕は、読んでいた雑誌を閉じ、知らないそのオッサンの顔をマジマジと眺めてしまった。しかし、そのオッサンの顔は真剣そのもので、必死に納期がどうとか話している。きっと、堪らなく出てしまった奇声だとは思うのだが、その奇声を聞かされた電話の相手が無償に気の毒に感じてしまった。
(電話の向こうでどんな反応をしたのだろう・・・)
予断であるが「ガチョ~ン!!」のギャグは、谷啓さんが牌をツモった時に思わず発した奇声だったとされており、あの何かを掴む様な手の動きも牌をツモり引いた時のしぐさから来ているのだそうだ。
麻雀というゲームにしろ、ポーカーというゲームにしろ、花札にしろ、これらのゲームは、無条件に牌やカードが、最初に配られてしまうゲームである。
つまり、自分でカードを選ぶ権利もなく、そこでは、我侭は許されない。
俺は、金持ちだからとか、権力があるとか、そんなの関係なく、配られたものは無条件に自分の持ち駒となる。
そこで、プレイヤーは手持ちのカードの中で、ゲームに勝つ戦略を立て、相手の心理を読み解き、工夫を凝らして考えて行かなければならないのだ。
実はビジネスもこれに似ている。
「あの商品が欲しい!この商品があれば売れるのに!」
「もっと、接客力がある店員さんがいれば、売上が作れるのに!」
「あのメガネ店がなければ、一番店になれるのに!」
「駅前に、あれば、もっとお客様が来店しやすいのに!」
と言ったところで、そんな言葉自体、ナンセンスである。
今の手持ち牌や駒は、手持ちのものとして認め、その中で創意工夫のもとで勝てるか勝てないかを考え動ける者が、最終的な勝者になるものだからだ。
仮に最初からAが3枚入っている時点で、ポーカーをしても何の面白みもなく、そんなのはゲームではない。
ゲームも同様に、繰り返し勝ち続ける事で、徐々に効果的なカードが集まりだし、ポーカーで勝てる人間になっていく。
今のカードを見て最初からゲームを投げ出した者に、勝利の女神は決して微笑まないのである。