本音で言っている
会津から東京へ帰り、ホテルへ向かう途中、街中はクリスマスだった。
時間も時間なのだろうか、人は、あまり歩いていない。
イルミネーションが、街行く人に歳末のカウントダウンを告げている様に思える。
あまり知られていないが、明日は12月24日。聖人の日から見ると「アダムとイブの日」になる。
その名残からなのか、勝手なこじ付けなのか判らないが、モミの木は、エデンの園の知識の木であり、そこには知識の木の実としてのリンゴを飾る様になっている。
クリスマスツリーのイルミネーションは、夜空に輝く無数の星を象徴としていて、そこにはキリストの誕生を知らせるための、喜びのベルも飾られている。
また、人の罪は赦されたというキリストの十字架刑を、ヒイラギで表しているとも言われており、ヒイラギの葉の棘のような部分はキリストの受難のシンボルであるいばらの冠を表し、赤い実はキリストが流した血であり、そして緑の葉は永遠の生命を象徴しているのだそうだ。
そして、あの丸いリースも、形状から永遠の意味があり、最後に靴下も、サンタクロースのモデルになったニコラスが貧しい人に煙突から投げた金貨が、干してあった靴下に偶然入ったことから、サンタクロースが靴下にプレゼントを入れてくれると言われる様になったとされている。
どうでも良いけど、あの飾りにも全部、その意味があり、正月の御節料理や、節分や雛祭り、端午の節句、七夕等々と、人は、その都度、神話を見つけては、1年中願いや祈願をしているものなのかも知れない。
でも、そんな事を説明されても、聞かされた人はきっと嫌がるだろう。理屈抜きで綺麗なものは、綺麗と感じていたいからだ。
例えば、笑い話であるが、ボクシングでも逆転勝ちした選手に、「あのピンチの中、何故、勝てたと思いますか?」というアナウンサーからの試合後に受けた質問に、バカ正直に「あの右フックで体制を崩した隙に左アッパーを被せたからです」というコメントよりも、「フアンの皆さんからの声援が聞こえたからです」と言った方が歓声は上がるだろうし、レコード大賞を受賞した歌手が「俺の歌唱力が誰よりも上だったから!」と言えば、亀田兄弟みたいに一気に悪役になってしまう。
結局、人に伝わり易いのは、理論や理屈でなく、場であり、空気であって、その相手が求めている答えになる。それは心を持つ人間同士だから仕方ないのである。
しかし、僕の場合は、なるべくお客様に対しても本音で言っている。
上辺で言っても顔に出るからバレるし、自分も疲れる。
だから「今日はクリスマスだね」と言われても、「僕はキリストよりも親鸞が良い」と堂々と言い続けて行く。