判らないもの
今日は、久しぶりにメンバーと一緒に長旅をした。大阪から千葉、そして北茨城へと。
普段、なかなか接する時間が取れないメンバーだったので、実は凄く楽しみだった。
途中、時間がない中、千葉に行き、伝説的なメガネの検査で有名な店舗にも立ち寄った。普段、そのメンバーとは、業種が違えども、メガネ店の中で伝説的な検眼をする社長とも運良く話をさせて頂く機会が持てた。その社長は、凄く良心的な社長で、初対面の僕らでも人の暖かさを十人分に感じられるように、次に繋がる様な話を織り交ぜながら接してくれた。
最終的に東京に着いたのは、23時過ぎだった。本当に最後まで今日一日付き合ってくれたメンバーには感謝している。そしてメンバーと1日、一緒にいる事によって、会社では見えなかった事も初めて判った事も多々あった。
ここで有名なたとえ話を引用する。
その話は、「伝説のパン」という内容だ。
昔、伝説のパンをある職人が作った。このパンの味は想像を絶するおいしさで、どのパンよりも香り高く、最高の味わいを有しているという。
どんな種類の料理とも完璧にマッチし、そのおいしさといったら、それこそ伝説的であった。しかし、この「伝説のパン」には唯一の欠点があった。それは見た目が悪いことだった。外から見ると、お世辞にもおいしそうとはいえない。
パンは無数にある。いろいろな種類のパンが至る所に存在している。中にはおいしそうなパンやきれいなデコレーションを施されたパンなど、世の中にはいろいろな種類のパンが存在している。
最初の一口さえ食べてもらえれば、この「伝説のパン」の、想像を絶するおいしさが人々にわかってもらえる。しかし、このパンは見た目が悪い。おいしそうではない。パンは無数にある。誰も好きこのんでまずそうなパンなど食べてみようとは思わない。お客さんは皆、この「伝説のパン」の前を素通りしていく・・・。
こうして「伝説のパン」は誰にも食べられることなく、かびが生えて、捨てられてしまった・・・。パン屋の主人は言った。「一口でも・・・一口でも食べてくれれば・・・」
僕達は、普段、1人の人間を見て接しているつもりでも判らない事だらけなのではないだろうか?
確かに、伝説的なパンの様を作った職人の様な気持ちで、一口でも食べてもらえれば、その良さが判るのに・・・・と地団駄を踏んでいるメガネ店の店長も多いと思う。また、自分を正しく評価して欲しいと思っている店長も多いのかもしれない。
でも、ここで大切な事は、一口目を食べてみようと持っていく事が商売において一番難しいところなのである。
自分を判って欲しいと思うなら、その機会を作るまでが最も難しいところなのである。
そんなこんな事を自分自身に置き換え考えながら帰路に着いた。