穢れ
今日も、ご支援先から宝飾のメーカーさんに電話をすると明日からお盆休みに突入と言う。
早いところは、10日から21日まで休みだそうだ。
でも小売店は、人が休んでいる時に営業してナンボの世界。
僕達のご支援先の宝飾店は、お盆も休まず頑張っているので、僕らは9月に休みを取りたいと思っている。
さて、休みが取れれば、まずお墓参りに行きたいのだが、次に行きたいのは神社である。
基本的に、神様や占いやスピリチュアルは好きだが、心底信用していない僕としては、神社に行きたいと思うのは、矛盾している様に思えるのだが、昔(中学生の頃)、神社で大事件を起こしてから非常に興味を持つ様になった。
神社は、神が鎮座する本殿、儀礼を行う拝殿、神域と俗界を隔てる鳥居などから構成されているのだけど、そこには身の穢れを払う為のシステムがあるというのだ。
穢れというのは、「気が枯れている状態」の事を示す。
そして、その枯れている気を元に戻しましょうというのが神社の役割で、必ず神社には、ご神木を中心に沢山の樹木が生い茂っている。古来、神様は榊などの樹木に宿ると考えられていたことから、木が気を与えてくれるのものであった。
次に砂利がある。砂利にも意味があって「邪を離す」という事らしい。
だから神社の参道に敷き詰めてある小石は「玉砂利」と言って、そのジャリジャリという音玉で参拝までの道で自分の身を清浄に保つ意味があるのだ。
その後に、手水舎でお手水をする。この水は、沐浴の代わりに置かれていて、本来は全身で沐浴する意味があるそうだ。(全身に水を被ったら、間違いなく通報されるので、手や口だけで止めておかなければならない)
そして、これでもかという具合に、邪気を払い、沢山の気を貰って、たどり着くのが本殿。
しかし、そこには、十字架も牧師さんもいない。そして偶像も経典もなく、あるのは鏡のみである。
その鏡は真実を映し出す。
つまり参拝する際に鏡に映る自分を確認して、我が取れた自分の心の中を映し出す事で達成になるのだ。
class=”MsoNormal”>「かがみ」から「が」を取ると「かみ」。
そこで最終的に、自分で自分の事を確認しろ!って感じが我国らしくて好きだ。
まぁ~そんな感じで、神社に行ってみようと思うのだが、森林に囲まれ、どこかすがすがしい気持ちになれるのは間違いない。