思う存分に付けて貰う
幸運にも、この時期になるとお客様からチョコレートを頂けたりする。
昨日もゴディバのチョコレートを頂戴した。
早速、滅多に貰えない為、本日お伺いしたご支援先で、ゴディバのチョコレートを徐に見せて、思いっきり自慢して見ようと話をしていると、先方の社長からゴディバにまつわる伝説を聞かされた。(自慢したつもりが、勉強させられてしまった)
それはゴディバのマークにあった。(ご存知の方も多いと思うが僕は知らなかった)
「ゴディバの箱には、馬に乗った裸の女性が描かれている。その裸の女性の名前がGodivaである。ある中世のイギリス時代、レオフリック伯爵の妻、レディ・ゴディバは、夫が、町民に課した重税が、彼らを大変苦しめている姿を見て、税金の廃止を頼んだそうだ。
しかし夫は、エジプトのムバラクの様に、彼女の訴えをまともに聞かず、無理難題を押し付ける。それは彼女が裸で街中を馬に乗って廻ることができるなら、税金を廃止しようという条件であった。そんな常識では考えられない条件を突きつけられると諦めるものだが、ゴディバは、意を決して夫の言う通り一糸も纏わず姿で馬に乗り、街を廻ったのである。
ここで、感動的なのは、その事を事前に聞いていた町民達は、彼女の慈悲深さに敬意を表して、当日その姿を見ないよう、家の窓をかたく閉ざしていた。その結果、彼女は無事、裸で街を廻る事が出来たという伝説である」
蛇足であるが、この話の中に、実はこの時、ただひとり彼女の姿をこっそり見ていたのがトムという野郎だった。それが後にバレて、その名前が残り、覗き見をする姑息な野郎をピーピング・トムという言葉で今でも表現されている。
まぁ~どうでも良い話かも知れないが、ゴディバのチョコは格別に美味しいだけでなく、スターバックスやモスバーガーの様に、それぞれストーリーがあるという事は、人に伝え易く、覚え易くなるものである。
さてさて、本日もご支援先で良質の真珠の話をしていた。
今年は、厄年需要の仕掛けの年であるが、女性の厄年は19歳、33歳、37歳である。
そこで、厄除けとして昔から長いものや七色に光るもの、征服せざるものというモノをプレゼントされたり、身につけると良いとされている。
長いものとは、実は鱗模様のものが原点で、恵比寿様や大黒天様の化身が蛇神な為、それに見立てて外から来る厄を払うという意味だそうだ。
だから、昔は、見るからに不気味な蛇リングが売れてたりした訳だが、今は真珠が売れて
いる。
その中で、七色に輝くピーコックカラーの黒真珠もピッタリな厄除けジュエリーになる。
黒真珠は、実は黒一色ではなく、赤系統や青系統、黄系統の色もあり、それをマルチ的な配色で組まれているものを見ると本当に引き込まれる美しさである。
しかし、美しいだけあり、そういう本物商品は、価格もある程度高く、展開されているのも一流のブランドショップにしかない。
だから専門店で仕入れるのは、大変勇気がいる。
では、仮にお客様が、この手の真珠を展開している銀座にあるミキ●●やタ●キの店で気軽に見たり、付けたりは出来るだろうか?
多分、あの雰囲気である為、買う気のない人に、そこまで自由に付けさせては貰えないだろう。
そこが商売におけるミソなのだ。
専門店では、お客様に買う気がなくても、思う存分、付けて貰って鏡で見て貰う事が出来るのだ。
あくまでも、買うか買わないかはデジタル的な判断(価格が高いや安い)であって、欲しいか欲しくないか(好きか嫌いか)はアナログだからだ。
その時に買われなくても、きっとイメージとしてお客様の記憶に残るだろう。
記憶に残れば、それをいつか買える時に欲しくなるのが人間の常でもある。
だから、勝手に商品が高いからと言って提案しないのは勿体無い話だし、そういう商品を仕入れないのも、専門店としての夢も役割もなくなる。
これはメガネでも何でも一緒の事で、折角、自店に来店されたのであれば、百貨店に置いてある様な高額な商品でも、気兼ねなく自由に体験して貰える雰囲気作りが、最も楽しい時間を過ごせるものとなり、商売において大変重要だと言う事なのだ。