原点は兵法
今日は家に帰ったらフランス原産の洋なしである「ラ・フランス」があった。
お客様が、わざわざ山形から送って来てくれた様だ。確か、将棋の駒の街である天童市が産地だった様な気がする。
本場の「ラ・フランス」を食べて見ると、やっぱりメチャクチャ美味しい。
それだけで、一気に幸せになった。
しばらく家にいなかったので、食べれなかったけど明日はキッチリとお礼をしないと・・・・・・
僕らコンサルタントにとって、兵法というものは誰でも読んでいるバイブルみたいなものである。ここで兵法について語ると、とてもじゃないけど書ききれないので割愛するが、マーケティングにおいてもマーケットの中でイングするという言葉通り、戦い方の基本はココにある。
そこで、兵法を最初に経営に取り入れたのが、日本である事は有名な話であるのだが、それを商売に取り入れたのは、あの三井高利だった。
三井高利を知らない人はいないと思うのだが、三井財閥の創業者であり三越でも有名である。
もともと三井財閥の先祖は伊勢商人である様に思われるが、六角に仕えた武士であった。
六角は佐々木源氏の流れをくむ名門中の名門で、その中でも三井は「六角七将」の一人だ。
しかし、信長によって六角家は滅ぼされ、三井は伊勢の松阪まで逃れてから商人になった。
その四男であった高利は、特に商才が素晴らしく、単身で江戸に進出し、73歳で他界する時、持っていた資産は、32億だった。
その三井高利が基本とした考え方は兵法であり、「名将の下に弱卒なし」と言う言葉や「商人は仁義を守り、将軍が兵卒に情を掛ける様に商売に利益がある様に心がけるべきである」と本質的な考え方が沢山残っている。
あの鈴木商店も、神戸製鋼所、帝人、昭和シェル、富士フイルム、三井住友海上火災保険等々を傘下に収めていたのだが、その創業者である金子直吉のバイブルは孫子の兵法であった事も有名だし、満州太郎で名を轟かせたアラビア石油の創業者である山下太郎も常に机の中に孫子を入れていたという。東武や南海の「鉄道王」根津嘉一郎も孫子が原点だ。
つまり、商売の基本は、兵法にありなのだ。
しばらくぶりに本棚に飾られた船井幸雄氏の本も、やはり原点は兵法であり、これを知らずにマーケティングも何もあったものじゃないとさえも思えてくる。