作品
今日は月初会議の日だった。
1年も折り返しに入り、後半戦の取り組み方を整理して行く大切な時間である。
そんな会議の日の昼食には、必ず食べに行くパスタ屋さんがある。
本日も、そのパスタ屋さんで、カウンターに並んで座っていたのだが、厨房の方でマスターの奥さんが少し叱られている姿が目に入った。
話の詳細はよく聞こえなかったのだが、注文の段取りでパスタとリゾットの確認の部分での食い違いだったと思う。こちらとしては、あまり気にする事もなかったぐらいの話だったのが、彼らは単にパスタを出しているのでなく、丹念込めたパスタという作品を出しているのだから妥協は許されないのだろう。
だから、前菜を含め、それぞれ出したものに対して必ず説明を加える。以前に3日間連続行った時も、そんな毎回毎回、変わる筈もないし、昨日も食べた前菜だったから説明しなくても判るので説明しなくても良かったのだが、やはり3日間連続同じ説明をして来られた。これも段取りから一連の流れに対する彼らなりのこだわりがあるからだろう。
僕らコンサルタントという仕事も作品である。特にセミナーの講演内容も、販促物や各種ツールに対しても作品である。
ただ単に話をしているだけでは、何も伝わらない。
歌手も歌が下手だと、どんなに良い曲でも心を打たないし、魂を入れず小手先の手法で誤魔化しても長くは続かない。
これがメガネ専門店でも店頭に並んでいる商品は、全て販売員の手によって作品へと変わる。どんなメガネでも仕入れをした人は「売れる」と思って仕入れしているもので、誰も最初から売れないと思って仕入れなんてしない。だから仕入れたものは売れて当たり前が前提で、年間1回転していない店は、よほど仕入れしている人が現場とかけ離れているか、
顧客やデーターが見えていないのだろう。
今、改めてメガネの売場を眺めた時、そこには作品を提供出来る環境と演出があるのだろうか?魂は込められているのだろうか?忙しいからと妥協と惰性になっていないのだろうか?改めて問いかけてみる。