人はロボットじゃないのだから
僕は昔から動物園が好きだった。檻で囲まれた山を走り回る猿やチンパンジー、ゴリラを見ながら、どう進化したら人間になるのだろうと、いつもブツブツ言っていた。
確かに初期のホモ・サピエンスと考えられる化石は、主にアフリカで発見されていて10~15万年前ぐらい前のものの様だけど、それでもネアンデルタール人がサピエンスに変わるなんて全く想像も出来ない。(形が似ている程度だ)
げんに進化を証明する途中の化石も全てが存在する筈もないので、やっぱり突然変異としか考えられないのである。
だから、何万年後かに人間は、また突然変異しても不思議はなく、映画のサルゲートの様なロボット世界になって、家に引きこもることで深海魚の様な目も足もなくなっているかも知れない。
さてさて、サルゲートは、生身の人間は家に寝転んでいながら、自分の分身であるロボットを自由自在に動かして毎日の生活をおくるという衝撃的な面白い映画だったのだが、現実、何かを自由自在に動かす事ほど難しいものはない。
ボウリングにしてもビリヤードにしてもゴルフにしても、芸術をはじめ自分の体を使った水泳や剣道にしても、そうそう簡単に思うように動いてはくれない。
やっぱり、そこそこ動ける様になるにも練習を何度も繰り返して技術が上達して初めて可能になってくるのだが、完璧に動かす事はプロでも不可能だろう。
まして、それが他人で心を持つ人間であるなら、メチャクチャ難しい事である。
人はロボットじゃないのだから、思う通りに動くと思う方が不自然なのだ。
その為、人を動かしたければ情熱を持って技術を磨く必要がある。それは、誰の技術かと言えば、自分自身の技術以外、あり得ない。
部下が思うように動いてくれないと嘆いている店長の皆さん、技術を磨きましょう。