縁
人の出会いは点の出会い。
一度会って挨拶する人がいても、そこから二度、三度と会う人、また会おうと思える人は、なかなか少ないものです。昔、縁というものを線で結ぶには、ハガキを飛ばして繋げていくという事を教わりました。でも、なかなか普通出来ないものです。逆に出来ないから出来る人は目立つのでしょう。
私達が携わっている商売も普段、店頭でメガネや宝石というものを通して顧客という縁を作っていくものです。
小さい街で営みをしているところが、ほとんどなので、同じお客様にリピートされなければ、元来、商売として成り立たない事は周知の事実です。
つまり、どんなに凄い商品を持っていても、どんなに価格が安くても、どんなに販促で集客して繁盛店現象を起こしていたとしても、一瞬の売上でなく本当の意味で続いていくお店というのは、縁をしっかりと大切に思える事を商売の中心に置いているところだと思います。
「お買い物をして頂いたらお礼状を書いて下さい」と今まで何度も何度も言ってきました。
でも、そこで即日にハガキを出したり、筆文字で気持ちを込めたり、お客様とのふとした
会話を盛り込んだり、本気でまた会いたい。この人との縁を大切にしたいと本気で思って手紙を書いているスタッフは、どれだけいるのでしょうね。
仕事は、使事と試事に分かれます。前者は作業として捉えている範囲で、後者は、自分が期待を超えられるかどうかを試され事として受け止めている範囲です。
作業の段階だと、普通に時間をかけてやれば、誰でも出来ます。でも、いざお客様から試されていると思っているのであれば、「凄いじゃないか!」「わざわざ、ありがとう」「こんなにして貰って」とか、いろいろ期待を超える事に対する声が直接出てきます。
今、ここで語っている内容は、あくまでも言葉で書いている事であって、実際に、頭では判っていても、本気の心で受け止めている人は、ごくごくわずかだと思います。
点では儲からない。点を線にして面にして輪になる。当たり前の事ですけどね。
※今日は、東京からの帰りに、またまたポイントを使ってグリーン車に乗りました。
並んでいるときに、どこかで見た人だなぁ~と思って、よく見ると吉本の「いくよ、くるよ」さん達でした。
「いくよ、くるよ」さんは、僕の亡くなった母親が仕事を通して友達の様に付き合っていた人達で、僕も小学生の頃から何度か遊びに行っていました。
「いくよ、くるよさんですね。僕は●●の息子です。」
「えっ!●●さんの・・・・ホンマに~。偉い大きくなって(オッサンなんですけど)
●●さんには、メチャクチャお世話になってね~」と並んでいる時に少し会話をしました。
でも、一瞬で名前を覚えていてくれた事、寂しげに語ってくれた事で、自分の母親ながら、どういう人間関係を築いていたのかが、判るような気がして、凄い人だったのだと思います。
仕事を通してでも、私生活でも良いのですが、世の中、どれだけ縁を築けたかが、その人の人生を物語っている様な気がします。