物欲から
戦後、敗戦国になった日本は、憲法を変えられ、あらゆるものを没収されてしまった。その後、今の団塊世代は、豊かな暮らしとは言わないまでも、物への執着心もあり必死に働いた。丁稚奉公は当たり前、働かなければ食べても行けない。泣き言を言っている暇もなく、ただひたすら働く中で生甲斐を見つけていった。物を生産していかなければならない為、手に技術を取得する為、命懸けで覚えた。高度経済成長、そしてバブルの中、それらが飛ぶように売れていった。気付けば総中流社会と言われるまでなり中間所得層が85%以上を占める様になった中、ある程度の物が行き渡った。冷蔵庫、テレビ、洗濯機という3種の神器をもはや追いかける必要もなく。
次に生産拠点を中国に移し、安い人件費で原価を下げる様に持っていった。別に、国民は物を必要としなくても、あれやこれやと低単価で海外生産し、ドンドンとお腹一杯になっている口の中に押し入れようとする。しかし、物に対して興味を失っている国民に対して、生産しても売れることもなく、ゼロサムゲームの崩壊と共に、工場は急激に閉鎖していき、雇用は縮小していく事となった。
これが今の姿だ。
働かなくても親が生きている内は、引き篭もりも許される。一時期、ニートやフリーターという言葉を作りマスコミが取り上げていたが、唯の無職である。
生活保護も限界に来ているにも関らず、不足している税収を赤字国債で賄おうとする。
彼らは、あと10年もすれば、一体、どうして行くのだろう。収入源は?働き口は?
農業も水産も今はダメ、車もアパレルの生産も一部の巨大企業が中国やアジア圏内で行い輸出に頼る、物への興味も国民はないので仕方ないのだが、宣伝の電波媒体もダメになる。
平和過ぎたのだろう。
全ての産業は、そこにお客さんがいるから成立出来ているものであり、お客さんがいるから生存出来ているのだ。
もし、そこにお客さんがいなければ、どんな産業も成立しないものである。