基準のない世界
小学生の頃、テストで100点満点を取ると先生が花丸を付けてくれた。その花丸を見せると、母親が、お小遣いを1000円くれた。かといって使う当てもないので貯金箱に必然的に向うのだが、ただ貯金が増えるのが嬉しくて100点満点を取り続けた。中学、高校になると中間テストや期末テストという形でチャンスが1年間の中で2回に減った。でも、そこでも100点満点という目標があり、それを取ると今度は1万円をくれた。キッカケは不純かも知れないが、100点満点を目指すために、得意な科目だけを絞り、徹底的に勉強した。結果、勉強することよりも、100点満点という数字だけが目的となり、100点満点が取れなくなると98点であってクラスで1番だと言われても小遣いは出ない為、担任と2点を争って喧嘩した。結果、停学処分になってしまった。その後、勉強よりバイトの方が手っ取り早いと思い、バイトに明け暮れ高校生活が崩れてしまった。しかし、人には、勉強がダメでも取柄は、何個かあるもので、大学にも普通に入る事が出来た。大学時代は、仕方なく体育会の空手部で修練をしなければならなかったのだが、そこで初めて答えの存在しないテストというものに興味を持った。当時、経済学を専攻していた為、ミクロ経済学の需要・供給の法則から市場から見た最適資源分配資本や、マクロ経済学における国民所得水準の決定と管理や所得と貨幣市場から物価や賃金やインフレーションの法則、マネタリズムと合理的期待;景気循環;経済成長等々、今でも正直よく判らないのだが、当時とても新鮮で答えのない世界の中、再び勉強というものに興味を持つことが出来た。
そして、社会に出て、経営というものに対して、子供の頃の勉強の様に100点満点というものは決して存在しない世界が広がっている。大学で習った様々な学者の論文に書かれていることであっても、通用しないものは通用しない世界。完成というものが永遠に存在しない世界。
つまり、テストの点数というもの事体における満点基準がない為、1000点が存在するかも知れないし、10000点というものもあるかも知れない。だから、点数というものよりも中身が問われる。
その中身を一つ一つ検証し理解していけば10点でも20点でも積み上げ方式で、どんどんと限りない自分の答えを導き出すことが出来るに違いない。そして経営を引退した時、自分に課せられたテストの点数が何点であったかを必然的に知ることになる。その評価をするのは、他の誰でもない自分自身だけ。誰もが、まだ人生というテストの最中なのだと言う事を常に心に留めて置きたい。