マニュアル人間
接客マニュアル、イベントマニュアル、オープニングマニュアルと各会社には、様々なマニュアルというものが存在している。あるご支援先でもレンズのシニアレンズフェアというイベントを実施する上で私共が作成したマニュアルをもとに自店で改良された成功マニュアルが存在していました。
そしてそれが現場に配られていたのですが、そこの店長は、予算の設定、イベントまでのスケジューリングの仕方、接客の方法まで何かアドバイスをすると全て「マニュアルには、こう書いています」という回答でした。
確かにマニュアルというものは、一つの基準を作る上で最大公約数的な成功出来る段取りをまとめたものである事に間違いはありませんが、そこに大きな落とし穴があります。
大学までの勉強というものは、この教科書や参考書というマニュアルを暗記する力が求められ、数学にしても英語にしても、日本史、世界史にしても、ある一定の範囲の中で覚えたもの組み合わせの仕方で解答出来る為、マニュアルを覚えれば万全という教育体系のもとで作られているのです。
しかし、社会に出れば、そんなマニュアルだけで、勝ち残っていける程、甘いものではなく、自分自身でマニュアルという教科書を作成する側にならなければならないのです。
つまり誰かが作ったマニュアルは、手抜き工事みたいなもので、その中には様々な要因が考慮されていないからです。接客マニュアルであれば、当然、人が人の気持ちを動かす事をもとに作られているので、その通りの会話をしたからと言って、その時における人の気持ちをマニュアルの中に組み入れる事なんて出来る訳などないからです。
マニュアル人間は、結局、依存型の体質で、自分で考える事を拒否している為、手抜き工事のロボットと何ら変わりはないのです。
昔、細木数子さんが言っていましたが、1という数字を3で割ってみて0,333…と、どこまでいっても割り切ることは出来ないのよ。でもね、私たち人間の手を使えば、ひとつのものを三つに分けることが出来る。これが科学の持つ限界なのよ。