心と機械
僕が、苦手なものの一つとしてkioskのオバチャンです。どうしても毎日、新幹線を活用しているので、このオバチャンから雑誌やコーラやジャガリコというモノを買わなければならないのですが、10回購買する上で必ず1人から2人は釣銭を投げる様に渡すオバサンがいるのです。忙しい事は判るのですが、それはそっちの都合であって、私達には関係ありません。つい、この間は、つり銭が手から零れ落ちて雑誌の間に挟まって試行錯誤してしまい泣きそうになりながら新幹線に飛び乗りました。ここまで来ると、「キヨスク」なのか「キオスク」なのかハッキリしない中途半端な姿勢だから、あんな中途半端なオバサン連中を雇っているのだと、何の罪もない名前に対してまでも訳の判らない理由をつけて腹が立ってしまうのですが、どうしても便利さから利用してしまのが、悔しいものです。
でも、これが仮に自動販売機だと腹が立ちません。時々、自販機でコーヒーとかを買うと少し缶がヘコンでいたり、つり銭が溢れてしまうこともあるのですが、そんな時でも、あまり腹は立ちません。それで自動販売機に真剣に怒っていると、きっと頭の可笑しい人だと思われることでしょう。
結局、私達は心の通わない機械に腹が立てることはなくても、心のある人が同じ行為をすると腹を立ててしまうのです。
ということは、私達の行っている物販の大部分において人を介在させて販売している以上、つり銭の渡し方とまでは言いませんが、悪気がなくても、ほんのちょっとした事でも、お客様は敏感で、それだけで、「心のある人間が私に対して行った」という部分に対する被害妄想から怒りがフツフツと湧き上がるのでしょうね。
人を入れる商売は、とてもとても慎重にならなければなりません。