ブランド
ヨーロッパのブランディングは非常に上手いなぁ~と最近つくづく感じます。
スイスの高級腕時計やグッチやプラダやカッシーナ等、世界的なブランドは全てヨーロッパです。
例えば、高級スポーツカーで有名なフェラーリという会社の社員数は3000人あまりで、年間生産台数は、わずか500台だけです。有名な話で言えば2002年に
創業55年を迎えた時に記念として「エンツォ・フェラーリ」という創業者の名にちなんだモデルを発表した時も、349台しか生産しませんでした。このフェラーリは1台が、なんと7500万円もしたのですが、世界中から集まった応募は3500人以上。
創業者の考え方である「売れる見込みのある台数よりも1台少なく作れ」ということに則ったものであったとしても、とんだ誤算です。しかし、応募の中から「年収」「過去に12気筒エンジンのフェラーリを2台以上買った経験がある」「フェラーリクラブの会員である」等々の条件のもと349人だけが選ばれました。
作れば確実に売れたでしょうに!というのが今までの日本の発想で、ヨーロッパは1度決めた事に対しては、どんなに儲かると思っても作らない文化が、ブランドの哲学として根付いているのです。
「お金を出しても買えない」という希少性が、そこには存在し、自分は、「何としてもこれを買いたいのだ」と顧客に感じて貰える演出が、このフェラーリだけでなく、ロレックスのディトナのSSやパティック・フイリップ等の戦略を見ても明らかです。
話は変わりますが、今、世間を騒がせている「亀田大毅選手」の反則行為にしても、
確かに反則は、絶対ダメでメチャクチャな部分もありましたが、あのキャラクターは、あれで楽しんだ視聴者も大勢いたのだと思います。過去にモハメド・アリの挑発は凄まじいものがありましたし、マイク・タイソンは、ホリフイールドの耳を噛み千切ったり、本当に場外で対戦者を殴っていました。
「皆が良いと言うから私も買う」「皆が応援するから私も応援する」という国民性レベルでは、いつまで立ってもヨーロッパには追いつけないでしょう。
何故なら、そこには相対的な価値しか基準がないからなのです。そろそろ主観的な価値をしっかりと持ち、日本という素晴らしい職人に伝わる技術を継承させ、ブランドという文化を育てていかなければならないのだと思います。