人間は、やっぱり「快」で動くもの
先日、朝の通勤ラッシュにかち合いました。地方に出張へ行く機会が多いので、朝のラッシュに合うことは少ないのですが、やはり、それは凄いものです。しかし、不思議なもので、皆、扉付近に集まる傾向があり、なかなか中に入ろうとしない。これから何としても乗ろうとする人と絶対に奥に詰めるものかと必死で、その場から動かない様にしようとする人とのつばぜり合いが、そこかしこで繰り広げられています。そんな時にアナウンスで、いくら「奥に詰めてください」と言っても全く効果はないのですが、隣の何番車両は空いています。とアナウンスで流れた途端に人は、ドッと動いていったのです。
結局、人は自分の悲しいことに「得か損」かで動いているもので、それを明確にしなければ、こちらが意図する行動に結びつかないということを物語っていました。自店の販売スタッフにも同様で「お客さんに連絡しろ」とか「もっと気合を入れて接客を頑張れ!」といくら言ったところで結果、自分にとって「快」がなければ、馬の耳に念仏です。まず、そうなることによって、その販売スタッフが、「どんな楽しい出来事が待っているのか」という部分から、行動に落とし込まなければ、何も伝わっていません。
私も昔、部活で200段以上続く山の階段をうさぎ跳びで昇らされるという、今から思えば「いじめ」としか思えないような訳の判らない練習をさせられました。夏の日差しで、脱水症状も起こし何度も意識が飛び出す様になりながらも、先輩から「気合を入れろ!根性じゃ!負けるなコラ~!」と叫ばれていても、うるさいだけでした。頼むから「今すぐ死んで下さい」と思いながら、何をやっているんだろうと力が抜けて行ったのですが、そんな時に、1人の先輩が「これで昇り終わったら今日の練習は終了」と言われた途端に皆、ペースを上げて昇っていったのです。
これで今日の練習が終わる。水も一杯飲めるし、思いっきり寝転ぶことが出来るという「快」が体を動かしたのです。人の行動パターンとは、そんな程度です。